思いがけない襲撃者 〜 砂漠の王と氷の后より

      *砂幻シュウ様 “蜻蛉”さんでご披露なさっておいでの、
       勘7・アラビアン妄想設定をお借りしました。
       砂漠の王国を知略と武力とで堅牢に治める賢王カンベエと、
       傾城の佳人、氷の姫と謳われた美しき后シチロージ…という、
       勘7スキーには そりゃあ垂涎のお話ですvv
       そういう設定はちょっと…という方は、自己判断でお避け下さい。
 


 列強各国が自慢の技術と膨大な資金や人手を投入してのこと、巨大な船団による新たな航路開拓を進める時代。そんな国々が内陸への覇権を諦めた原因にもなったと噂される、途轍もない堅牢さをもってして、それはそれは広い領土を保持する砂漠の王国があった。実質、彼の手により制覇に至ったと言っても過言ではない現帝、賢き武王カンベエが、その広大な領土を治める拠点としている王宮は、港に間近い商いの街の中央にあり。石作りのそれは荘厳で威風堂々とした作りで構成され、石柱が連なる回り回廊や、高い天井へと備えた風抜きの天窓などなどという工夫こそ、贅沢なほどの多数凝らしてありはしたものの。装飾は最小限に押さえての、まるで現王の有り様を模したよな、堂々とした威厳と勇壮さを滲ませた建造物であったのだが。

  ただ

 そのずんと奥向きに設けられた“後宮”は、同じ城塞に囲まれていながらも、そんな厳つい外観からは程遠い印象の、それはそれは高貴にして風雅な空間であり。例えば、執務用の棟との境となる渡り廊下を深く進めば、その視界に現れる中庭
(パティオ)には とりどりの緑があふれ。泉水がほとびて流れるせせらぎも涼やかに、ここが砂漠の国だということを忘れさせるような瑞々しさに満ちており。やはり石作りの宮ではあるものの、優美なアーチをその天辺へと描く刳り貫きの戸口は、それぞれの枠を高価な石の象眼や細密な装飾に縁取られ。五色七彩あでやかな更紗が降ろされた窓には、綺羅らかな金の護鎖で提げられたチャームが微かな風にも揺れて。金鎖や碧の玉石がこすれ合い、涼しげな音色を奏でる仕様。



 日なかは相当に熱い外気に触れぬよに…との名目の下、実質は外敵の不法侵入の防止という目的のためだろう。戸口への板戸や蔀
(しとみ)を立て込めぬままという、至って開放的な作りと見せながら、その実、主要な部屋へは、数多の回廊や広間を経ねば到達出来ぬ。そんな工夫により、風通しは良いままに それはそれは懐ろ深い作りとなった宮の奥向きには、覇王がそれぞれに愛で慈しむ、瑞々しい果実のような美姫らが幾たりか住まわっており。殊に一番最初に妻として娶った后はシチロージといい、この大陸の中でも最も北に位置する氷の国から迎えた傾城の佳人。見目の麗しさのみならず、見識や人柄の奥深さや、ことによっては王にさえ意見するを辞さぬ芯の強さをも持ち合わせ。慈悲深いが甘くはない、そんな威厳への尊敬をもって、王宮に籍置く者らからは“氷の后”と囁かれ。日頃まといしベールの色合いからだろ“紫氷の宮様”とも呼ばれておいで。夫である王か、身の回りを世話する女官以外の目には触れない真白き肌は、そのお生まれの北領の雪原を映したかのようで。見事な金の髪を覆うかづきとベールの狭間に僅かに覗く、青玻璃の眼差しは冴え冴えと美しく。嫋やかな肢体の輪郭透かす更紗の衣装や、そこへとまとわした金銀の飾りへの趣味のよさから、外来の賓客らはこぞって后との対面をも望むほど。素顔を拝することは叶わぬというに、

 『ややや、これは誠に麗しい。
  間近にお逢いすれば、心身に精気みなぎり、
  寿命までもがずんと延びるとの噂は真実本当であったようだ。』

 いや、こうまで露骨な言い回しかどうかは存じかねますが。
(う〜ん) だがだが、確かに…渋っていたはずの同盟への承認をてきぱきと運んだり、親愛示す贈り物を披露するための宴の席を大急ぎで設けたりと、一気に友好的になられるご使者殿らは引きも切らずであるらしく。意外な格好で外交へも貢献している、美しくも尊き后様だが。もう何十年と連れ添っているという安寧への安堵からか、伴侶、連れ合いである王はといえば、つい最近 迎えたうら若き妃への傾倒はなはだしい模様。キュウゾウという名の彼女もまた、北領の血を引く色白金髪の美姫であり。ただ、シチロージが嫋やかで優美な、北の凄涼さを象徴するよな風貌をしているのとは真逆の姿。いかにも挑発的に吊り上がった双眸には紅蓮の赤が冴え冴えと灯り、すべらかな頬を覆う軽やかな金の髪は、さながら焔群(ほむら)の如くに見えかねぬ。痩せぎすの手前ほどにも引き締まった痩躯には、心して触れねばどんな拍子に本物の刃がすべり出すかも判らぬという、それは鋭い緊張満たした女傑でもあって。何せ 母国を王に滅ぼされ、和睦の証しにと差し出されたようなもの。よって、隙あらば仇敵たる王にだって斬りつけんとする、復讐とも呼べそうな そんな意気地が備わっていても不思議はないと。周囲はそんな風に猛々しくも、彼女を把握しているらしかったけれど。

 “おや、まだそんな“まじない”が効いているのだね。”

 そんな彼女と直接に話をした機会を持ったおり、お節介かとも思いつつ、だがだが詰まらぬ誤解から後宮にまで物騒な波風立たされちゃあかなわぬと。あくまでも王への意趣返しを装ってのこと、実をいや彼女の母国を内から蝕む勢力があったことを告げ、白々しくも憎まれ役になっている王には これ以上謀
(たばか)られますなと、コトのほんとを教えて差し上げたので。それ以降はといや、お顔を合わせりゃ会釈も忘れぬ、故郷からの荷が届けば“おすそ分け”という口実でこちらの宮まで足運び、他愛ないおしゃべりの相手をしてくれる。あっと言う間に そうまで懐いた、根は純朴素直でかあいらしい姫であるのにねぇと、苦笑が絶えない后であったりもするらしいのだが。そうと解釈しているのは、これまたシチロージだけに限ってのこと。キュウゾウの最も間近へ仕えている侍女でさえ、そうと思えるような笑顔だの可愛げだの、一度たりとも見たことはないと言い。ただまあ、些細なことへも過激に怒(いか)り、相手構わずそのまま刃の露にされる…なぞと、噂されているほども恐ろしいかといや、そっちもさっぱりではあるらしいのだが。

 「……何だか、空気が落ち着かぬが。」

 そんな後宮は、執務の宮からは距離でも情報という形からもきっぱりと寸断されており。王とは接する機会も交わす情も 深く濃いとされる后やその周囲へ侍る者らであれ、原則、政治向きには接触かなわずとなっている。野心があろうとなかろうと、そんな立場を勝手に見込んだ誰ぞから、取り入りという形で悪用されかねぬからでもあって。そんなため、こちらの動向が王へ届くことは多々あっても、その逆はまずはなく。せいぜい風の噂でどこそこの国の使者がお越しだという話が伝わる程度。これこれという勢力があるを王がどう処断されたかなぞというような、国にとっては相当に大きな動きでも、後宮にはその王自身が話を運び入れねば気づくことさえ適わぬのが常なのであるが。どういうものか、今日は朝方からこの後宮にも、何かしら落ち着かぬ気配が時折聞こえる。蓮っ葉な詮索は好きではないシチロージでさえ、こそこそとした…輪郭もないままに届く気配には、鈍くはない感覚がついついそれを拾ってしまうというもので。一体なにごとが起こっておるというのかと、常に傍らにおいている侍女のシノへと訊けば。いたずらに無理強いは言わないし邪推も嫌いという、そんな后の気性はちゃんと心得ている彼女までもが、

 「……あのえっと。」

 妙に口ごもってしまう始末で埒が明かない。まだ明るいうちではあったが、沐浴へと付き添いての髪への手入れを命じ、他の者らは遠ざければ語るかも…と構えたところへ、

 「あ、あのっ!」

 不意に駆け込んで来た侍女があり。はしたない上に、此処は曲がりなりにも第一王妃の統べる空間。他所へと仕える娘だろう、見覚えもないお顔だったことへとシチロージが眉を顰め、勿論のこと、シノもそれへの心得はあってのこと、

 「何ごとかっ。
  此方
(こちら)をシチロージ様が 御座(おまし)と知っての狼藉か。」

 打って変わっての鋭い声で窘めれば。浅い蘇芳の更紗をまといし侍女は、滅相もありませぬと何度も何度もかぶりを振ると、

 「どうかシチロージ様、お后様におすがりしたくっ。」

 よほどの必死懸命に翔って来たからだろに、衣紋の乱れを繕う暇間もないままのすぐさま、床へと額
(ぬか)づき、必死なお声で健気にも訴え始めるではないか。どうやって擦り抜けたか、やっとのことで追って来た見張りや護衛の女傑らが、まだ年端のゆかぬ少女のか細い腕を掴み取り、取り押さえようとしかかったが、

 「…まあ、お待ちなさい。」

 もしやして、彼女が駆け込んで来たことも、今朝からのさわさわに関わることかもと気がついた后様。手触りの冷たい軟石の翡翠が、贅沢にも肘掛けに嵌め込まれた椅子から立ち上がると、今は口元覆わぬ格好、首のところへ軽やかに巻きしめているだけのベールをふわりと泳がせての、もったいなくも屈み込み。とうとう堰を切ったか、こぼれ始めた涙に頬を濡らしてしまっている、どこぞかの宮から駆けて来たらしき侍女へと、やさしくお声を掛けてやる。

 「そなた、一体どこから、何を知らせに、此処へと馳せ参じたのだ?」

 少し低くて甘やかな、だが、凛とした撓やかさをまといしお声を頭上から浴びて。膝をついたまま、此処からは退きませぬと頑張っていた少女がハッとする。知らず激していた感情へ、静まりなさいとの魔法を掛けられたかのように、いきなり大人しくなった侍女は、だが、

 「キュウゾウ様をどうか…。いえ、それよりもカンベエ様が…っ!
  王陛下がっ、お怪我をお負いになられてしまわれて…っ。」

 「……っ!」

 何としたこと、それは確かに他ならぬ一大事と。居合わせた侍女やら護衛の女官らが、打ち揃って ひえぇえぇぇぇっと驚くやら、慌てふためくやらを しかかったが、

 「お静まりなさいませっ!」

 それらを鋭くも力強き一声のみにて、打って静めたは さすがのシノ殿。第一王妃の御前ですぞと、諌めの声を放ってから、さて。涙ながらに見上げてくる少女と直接向かい合っていた后は…といえば。

 「………済まぬが、もう一度言うてはくれぬか?」

 あまりに大きな事態であったがため、そのお耳が聞くことを拒否でもしたものか。断片的ではあったれど、それでも十分に重大な内容を伝えていた文言を…もう一度繰り返せと仰せになっており。さしもの気丈な后であれ、王陛下の一大事にはこんなまで取り留めなくなってしまわれるものかと。日頃は淡々としておいでなその陰に、やはり暖めておいでであった情愛の深さよと。居合わせた女性らが、それぞれ感じ入ってしまった一幕だったりもしたのだが………。





       ◇◇◇◇



 確かに、と言うのも妙なものだが。砂漠の覇王カンベエ陛下が、その雄々しくも精悍な御身を、いやさお命を狙われんとした襲撃にあったのは事実であり。その日は、キュウゾウが生国を現地で治める執政官、炯の国の時代にも若くして国務を担当しておいでだったヒョーゴ殿が遠路はるばる首都までを訪ねておいでで。なかなか直接には会えぬ距離を持ってしまった、実は幼なじみ同士の二人ゆえ、特別に…というよりも破格の例外、キュウゾウ殿も玉座脇へと付き添うての謁見となったのだが。そんな場へと突然乱入して来たは、命知らずな無頼の徒。

 『何者かっ!』

 後々で判ったのだが、彼らこそはキュウゾウの母国を裏切りで蝕んでいた一派の残党で。とある大国から間者として送り込まれていた彼らだったが、結果は…カンベエの国の軍が先んじて割り込んで来たことで、そちらの計画はあっさりと破綻。絶大な武力を見せつけ、国を焦土と化す前に和睦をと持ち込み、それで手打ちとなった鮮やかな流れのお陰様、炯の国はカンベエの国の庇護を受ける形になったがゆえ、前より強固な護りを授かったことにもなってしまい。そんな地域と接している某国にしてみれば、何の脅威でもなかったはずな隣人が、いきなり途轍もない武装を完了してしまったようなもの。無能よ裏切り者よと罵られたその上、本来の母国へも帰ること叶わぬ身となった彼らは、逆恨みに燃えつつこの都の市場に身を潜めていたらしく。せめてもの逆襲、現在の執政官とカンベエとを討って、その首級
(しるし)掲げれば国へも戻れるとの妄執から、ありとあらゆる手を使い、ヒョーゴが率いて来た一行の中へと潜んで、王宮への潜入を果たしたらしかったのだが。

 『この痴れ者がっ!』

 直前まで親しげだった使者へまで刃を向けるを、まずはヒョーゴ殿が…大太刀は預けたが差料の小太刀を振るって鮮やかに仕留め。すべらかな黒髪が宙を躍ったその背後、彼の死角を衝いてのこと、そちらは玉座を狙ってだろう別な暴漢が蛮刀ひらめかせて飛び出したが、

 『無意味なことを。』

 それは静かな一声と共に、座したままな王陛下が、だが、ふっとその姿を掻き消して。玉座へはマントを縫いつけられたが、肝心な御身は既になく。えっと眸を剥いた暴漢が、そのままの顔つきであっさり こと切れてしまった早業の妙よ。

  ―― 微塵も躊躇の挟まらぬまま、一縷も無駄のない動作にて

 ただ立ち上がりつつ大太刀引き抜き、相手の胴へと横薙ぎに、真っ向から斬りつけただけの王のその動線が、あまりになめらかで速やかだったため。まるでその暴漢の胴体の真ん中を、通り抜けたように見えただけ。慌てもしなけりゃ熱
(いき)り立ちもしないまま、ただ身を起こしただけのよな、いたって冷静な態度で手掛けられたる仕儀とは思えぬ鮮やかさへは。居合わせた近衛の兵や隋臣らも唖然とし、次の刹那には感嘆の声を上げかけたものの、

 『王でなくともよい、そこな妃を攫ってしまえっ!』

 あまりに唐突な事態の闖入、驚きから総身が凍ってしまっても、そこは女性だ無理はないと。むしろ、なんて時に居合わせなさったかと、その不運を嘆いた人々が見やった先。お顔こそ紗のベールを下げての隠してはいたが、この国には珍しい金の髪はさらしたまんま。謁見用にという畏まったいで立ち、紅へ金を梳き込んだ上等な更紗の長衣紋を、護り鎖や宝玉にて品よく飾った、王が自慢のうら若き第三王妃。彼らにすれば以前にも一度裏切った格好になろう、炯の国から此処へと嫁いだ美しき姫君を。楯にでもする気か、それともせめてもの腹いせからか、刃を向けてのやはり襲い掛かった者どもがあったのだが。

 『…なんと見苦しい。』

 先程の声は単調なそれだったが、こたびの一言には…何とも重々しい怒りの感情が含まれており。それが勢いづけの気合いにもなったものか。先の襲撃者を薙ぎ払った太刀の動線、くるりと返したその流れへと、全身の重さをも載せての豪剣とし、ゆったりとした衣紋の袖の中へと覆われた、それは屈強な腕を引き絞り、一気に薙いでの叩き込む。卑怯にも女性を狙った暴漢を、その脾腹衝いての深々と、瞬殺してしまわれた剛の達人。本来ならば命じるだけで済ませていい、その手どころか装束の裾さえ汚さずにいていい身の主君だのに。そうであればこそ、腕も落ちての無様な討たれようを晒さす筈だった賊らの目論みは、もはや完全に逆の目を打っており。腕が立つからこそ、返り血ひとつ浴びてもいない。鋼色の髪はともかく、生成りの白を好まれるそのマントも装束も、土汚れの一つも増やさぬ、整然としたままな王の威容へは、身内の衛士らまでが…しばし気を飲まれての棒立ちになってしまっていたほどで。結果としては、王の立ち位置から一歩も踏み込むこと叶わぬまま、最後の暴漢がどさりとその場へ崩れ落ちた物音で、ようやっと我に返った近衛兵らが動きだし。水を打ったようだった広間は、逆賊の乱入直後まで刻を戻したかのように一気に騒然となった。気圧されたか飛び出せなかったらしい、居残りの武装組は勿論のこと、後方から彼らを扇動していた主犯格をも引っ捕らえ。本来の使者とその付き人らに怪我はないかと、内侍の官らが駆け寄って安否を問う中、

 『……。』
 『…キュウゾウ?』

 広々とした謁見の間の中に設えられた、雛壇の上の玉座の傍ら。丁度 ひじ掛けのすぐ真横に立ったままだった妃が、依然として立ち尽くしていたのへと気がついて。血を吸った太刀を鞘ごと隋臣へと手渡しながら、気遣うような声を掛け、如何したかと問うたカンベエだったのだけれども。血の気を失っているものかと思えた妃のお顔は、意外にも…朱を差しての頬から口許から真っ赤に染まり。おやこれは、こうまで至近で起こった戦闘の迫力に圧倒されるどころか、興奮引き起こしてしまったらしいのと。何とも頼もしいことよと笑った覇王様だったのへ……、




      ◇◇



 気に入りの草の色や青を選んだ更紗の天幕に囲われた寝台で、まだ明るいうちからというのは初めてではなかろうか、御主が横になっていたのは…あくまでも大事をとってのことだそうで。突然襲った狼藉者らは、間違いなくの見事に討ち取ったのに、選りにも選って、

 「……まさか、キュウゾウから壷を叩きつけられようとはの。」

 ブツは玉座の傍らに置かれてあった装飾用の小ぶりな瓶子。小さかったが支那から買い求めた逸品で、純白の肌は丁度それを振り上げた久蔵の二の腕に負けぬほどだったのにと、妙な格好で惚気た余裕も出て来たらしいカンベエが言うには。顔の目元には腕を渡し、急所だけはと咄嗟に避けたが。あまりに至近だったことと、それより何より あまりに意外な相手からの攻撃だったため。撥ね除けるべく掴みかかりも出来なかったは、こちらの不覚。まともに叩きつけられた格好の腕とそれから、腕輪に当たって白磁が砕け、その破片が散った先にあった足元へ、幾つかのささやかな怪我を負ってしまった王陛下だったそうであり。そんな一大事が起こったの、目の当たりに目撃してしまった幼い侍女があり。自分が仕える寡黙な姫様に、何か恐ろしい罰が降りるのではなかろうかと青ざめてのこと。後宮で一番お偉いシチロージ様へおすがりしようと、必死に翔って来ての…後宮の方での騒ぎだったのだけれども。

 「〜〜〜〜〜。」
 「…………后よ。そなた、笑いに来ただけか?」

 みぞおち辺りを手で抑え、声も出ぬ彼女だったのは…強烈な笑いの発作に取り付かれているから。行儀も品格も過ぎるほどに身につけている王后が、こうまでの笑いに息を詰まらせていることもまた、カンベエには面白くないことであり。勿論のこと“無様なことよ”という意味合いから笑っているシチロージではない。事情が判らぬまま、それでも一大事が起きたには違いなしと、これでも心から案じてのこと彼女が出来得る限りの手を打って、表向きの情報を集めんとしたのだが。日頃からも無理なこと、そんな騒動が相手では慣れぬ女官らでは歯が立つはずもなく。そうこうするうち、現場から脱兎のごとくに飛び出した者があったとの情報に、残党だったら剣呑と、それを追って来た衛士から、やっとのことで断片だけながらも話が聞けはしたのだが。ただ、最後の顛末はさすがに聞かされなんだ王后が、血相変えて駆けつけた王の寝所にて。大事はなけれど、明らかに憮然としているカンベエの口から語られた次第へと。

  ああ成程、と

 あの幼女が真っ青になったのも判るし、どうしてその部分は部外秘だという箝口令が敷かれたのかも判ると…得心したばかりのシチロージであり。庇ったつもりの当の妃から、両手で高々と頭上までへ掲げられた壷を叩きつけられ。さぞかし“???”と頭の中が真っ白になったカンベエだったに違いないと思えば、ある意味で“無事”だったからこそのことではあるが、可笑しくて可笑しくてしようがない后殿でもあって。そんな彼女の様子から、カンベエの側にも懸念が一つ沸き起こったらしく。

  「后よ。」
  「はい?」
  「お主、キュウゾウが仕打ちの意味が判っておるようだの。」

 何と恐れ多いとばかり血相変えて怒らぬは、そここそカンベエも心酔している懐ろの広さ、事情を正してからでなければ何とも言えぬと構えてのことだろと思いもするが。こうまで“可笑しい”と笑い飛ばすからには、それどころかという心当たりがあってのことと睨むのも当然の流れ。前合わせの寝間着の懐ろ、ようよう灼けた褐色の肌を覗かす王の胸元へ、上掛けを直してやる手を、向こうから大きな手で掴まれては逃れも出来ずで。
「ええ。ですが、洞察なぞという難しいことではありませぬ。」
 さすがに笑いは引っ込めて、シチロージが静かな声を出して紡いだは、

 「彼の妃はそれは跳ねっ返りで、しかも刀剣の扱いにも長けている。
  いまだに銀の刃もて、貴方様の隙を狙うほどなのでしょう?」

 事情を知らぬ者が聞いたなら、何とも物騒な話だったが、
「………うむ。」
 少し間を置いたようなカンベエの呟きは。指摘された事実への肯定とそれから、ああそうかとやっと彼へも得心がいったという響きとを兼ねており。

 「さようか。庇われたのが口惜しゅうて。」
 「しかも、日頃から隙を狙っている貴方様からともなれば、
  何とも複雑な心持ちとなっての混乱も格別かと。」

 混乱したのかどうかはともかく。腕への覚えある自分を庇うとは僭越なと、腹が立ってのことお身内の護衛兵を叩きのめした前例が、実は母国でも絶対の他言無用な事例として、枚挙の暇がないほど幾例も封じられていたそうで。暴漢は成敗したが、選りにも選って王妃から殴られた王だったとの顛末も、やはり封印されるに違いなく。

  頭に血が昇ったには違いありませぬ。

   うむ。

  あんな小さな侍女にまで身を捨ててでもと慕われていたほど、
  見栄えと裏腹、情の熱い妃なのですし。

   ああ。

 少しほどひんやりとする優しい手のひらで髪や額やを撫でられながら諭されては、彼女からの所望・嘆願にも応じざるを得ないというもの。多少は衆目もあった場だったが、部外者は暴漢を引き入れた切っ掛けを作った炯国の使者たちだったのだし、その他と言えば、身内も同然の、衛士たちや内務の隋臣らのみだったので。襲撃者らは一人残らず厳しく罰すこととした上で、神に誓っての関わりなしという使者らへは咎めをせぬ代わりにと堅く口止めし、妃のご乱心は無かったことへと封じられ。そうして、後日に………。


  ―― 骨折りを済まぬ


 そんな一言と共に、それはそれは愛らしい、毛足もやわらかな一匹の仔猫が、キュウゾウからシチロージへと贈られたのだった。






   〜Fine〜  10.04.20.


   *ますます危難の降って来ておいでなシュウ様へ。
    携帯からでもお読みになれればいいのですが…。

   *このお話の続きを、砂幻さまが書いてくださっております。
    “
蜻蛉”さんの 救済帳のコーナーへどうぞvv ( 10.06.19. )

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